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肥沼信次医師の経歴は?ドイツ人を救った経緯や歴史的偉業は?

肥沼信次 経歴

 
 

伝説の日本人医師、

肥沼信次医師を知っていますか?

肥沼信次医師は、

ドイツで大流行した伝染病と戦った医師で

多くのドイツ人の命を救った方なんです。

 

今回は肥沼信次医師の経歴や

ドイツに渡った経緯、

 

今も感謝され続けている歴史的偉業

について紹介します。

 

肥沼信次医師のプロフィールは?


名前:肥沼信次(こえぬま のぶつぐ)

生年月日:1908年10月9日
(没1946年3月8日)

享年:37才

出身:東京

尋常高等小学校
(現・八王子市立第三小学校)

東京府立二中
(現立川高校)

日本医科大学から
東京帝国大学(現東京大学)

 

肥沼信次医師の父は、

東京で外科医をしている

お医者さんなんです。

 

信次さんが医師になったのは、

父の影響もあったのでしょう

東京府立二中を卒業後は1年浪人後、

医師を目指して医学に道へ進みます。

 

 

日本医科大学から

25才で東京帝国大学に進学。

 

 

その肥沼信次医師は、

なぜドイツに渡ったのでしょうか?

 

肥沼信次医師の経歴やドイツ渡った経緯は?

肥沼信次医師は大学卒業後、

28才で日本政府の留学生として、

 

夢であったドイツに

行くことになります。

 

 

なぜ、ドイツに行く事が夢になったのか?

それは中学の時、

苦手だった数学の面白さを知り、

 

当時日本に来日した、

ドイツの物理学者の

アルバート・アインシュタインの

影響もあって、

 

さらに熱心に学び、

 

 

また、

医学の先進国で最先端の医学を

 

「いつかドイツで研究をしたい!」

 

そんな想いがあったようです。

 

29才でドイツ語を習得。

 

ドイツではドイツ連邦保健省の下の

ロベルト・コッホ研究所に所属。

 

その後、

ベルリン大学医学部放射線研究室で

放射線医学の実験や研究をしています。

 

 

1937年、35才の頃には

ベルリン大学で教授に

 

東洋人ではじめての名誉に喜ぶ中、

戦争の猛威が・・・

 

当時ドイツで何があった?

1937年のドイツの首相は、

アドルフ・ヒトラー。

 

独裁政権がポーランドに侵攻して

第二次世界大戦がはじまります。

 

 

言葉や迫害がはじまり、

 

大学教職志願者には政府に忠誠を誓う

宣誓書を出さなけれななりませんでした。

 

当時は純血主義だったのですが、

 

肥沼信次医師は

日本人であることを宣誓書に誓うという

勇気のある発言をしています。

 

 

戦争の影響で日本政府から日本人に

帰国の指示がでました。

 

しかし、

肥沼信次医師の姿はなく

ドイツに残ります。

 

その後、

ドイツのエーヴェルスヴァルデで

暮らしいる時に、

 

ソ連軍から伝染病医療センター

所長に任命されます。

 

戦争で不衛生になった町は、

伝染病や発疹チフスが大流行。

 

肥沼信次医師が

治療をすることになります。

 

 

同僚の看護師も発疹チフスで亡くなる中、

 

肥沼信次医師は、

他の町へ行き、薬を集めてきます。

 

伝染病や発疹チフスで苦しむ

多くの人を救っています。

 

その後

肥沼信次医師も発疹チフスで体調を崩し

37才で息を引き取りました。

 

 

亡くなる前には、

「桜をもう一度見たかった」

残しています。

 

 

今も感謝され続けている歴史的偉業

名誉市民となった肥沼信次医師。

 

肥沼信次医師が亡くなってから43年後。

 

1989年の朝日新聞に、

「日本人医師・故コエヌマノブツグを

ご存知の方はいないか」

 

という記事が載せられました。

 

当時、肥沼信次医師が住んでいた町、

リーツェンの郷土博物館館長が、

コエヌマノブツグを知り調べていたんです。

 

 

この記事を見た肥沼信次医師の弟の

栄治さんが連絡を取り、

 

肥沼信次医師が多くの命を救った、

リーツェンの人々と交流が始まります。

 

栄治さんが桜の木を贈ったり、

 

その並木道に

「Dr.Koyenuma Beachpark

(肥沼通り)」という名前がついたり、

肥沼信次医師の名前の公園や本。

肥沼信次医師のお墓があります。

 

まとめ

今回は肥沼信次医師の経歴や

ドイツに渡った経緯、

今も感謝され続けている

歴史的偉業について紹介しました。

 

伝染病や発疹チフスなどの病気を

自分の命を顧みず、

一生懸命ドイツ人の救った功績は

絆となり、

 

3.11の東日本大震災の際、

リーツェンから

恩返しの義援金が送られいます。